
季節が移り変わり、すっかり春のフィレンツェ。
枯れ葉を落とした植物達が、暖かい日差しを受けて
毎日少しずつ生まれたばかりの薄い緑色の若芽を伸ばし、
茶色だった土壌には、若草が生い茂げり、
赤・白・黄色の花々が彩りを添えています。
イタリアの報道で、再三耳にするようになった FUKUSHIMA。
日本の報道でも、福島原発。
至る所に FUKUSHIMA や 福島 の言葉が飛び交い、
耳にするたびに、気持ちがズンズンと落ち込んでしまい、
ブログになにを書けば良いのかわからずに、
書いては消し、消しては書いての繰り返しでした。
わたしの日常には、仕事があり、適度の楽しみもあり、
いまのフィレンツェは陽光が輝く日々。
一方で、家はあるのに、いつ帰れるとも知れぬ原発避難の方々や、
地震と津波ですべてを失った人々がいることを思うと、
なにが現実なのか分からなくなってしまいました。
福島原発から10キロ圏内にある、富岡や楢葉町など、
本来なら、海と自然が美しい素敵な町です。
わたしも日本にいた頃は、夏によく行きました。
美しい自然や素朴な人々が住まう町などということは、
原発事故の大きさに負かされて、
原発を作った会社名は人々に忘れ去られても、
福島という名は、歴史上、これからずっと、
原発事故のあったところとして、
世界中の人々の心に残ることでしょう。
とてもやるせなくて、悲しいです。
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ヒットラーに象徴されるような「悪い敵」がいて、
それと戦うという物語は、勝ち負けが重要だった。
相手が宇宙人でも、同じ。
しかし、「自然」というやつと戦うのは
勝ち負けが問題なのじゃなくて、
和平のみを目的にするしかない。
あれだけひどいことをした自然が、
もうじき桜を咲かせる。
(by 糸井 重里)
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これは地震や津波の天災に向けて書かれたことば。
原発が天災とは、わたしには思えないけど、
この言葉と、春の暖かい空気や
元気の出る青空や草花に癒されながら、
自分の気持ちも少しずつ再生して、
日常の時間を過ごしつつも、
被災された方々にも、できるだけ早く、
それぞれの理想の日常が来ることを祈りながら、
長期に渡る支援をしていきたいと思います。
と同時に、フィレンツェ時間を、
時には元気に、時には真面目に、
陽気な笑顔でご案内していきたいです。
次回からは、通常通りよろしくお願いします♪
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自分のいる この 場所 と 時間 と 人を 大切に思う気持ちと
日本が甦ることへの 意思と行動を持つことを考えるようになりますね
小さな笑みの積み重ね 大きくなあ~~れ!
ボンジョノ
タイトルがいいですね まだまだ先にはなるだろうけど
フィレンツェより ぴったりの言葉かもしれませんね。
実は此の頃 出身地を聞かれると 言葉を濁してしまいます。
FUKUSHIMA県なんです。
言われた方が困るだろうなって思うと 日本国なのよで終えてます。
今 何て言ったらいいか 私が母へ言う時でさえ 迷うのに。
陽気な笑顔 楽しみにしてますよ。
私はあえて この時期 ブログ更新を 継続してました。
コミュニケーションの手段としてとても役に立ってくれたもので。
では BOUNA FINE-SETTIMANA!
素敵なコメントをありがとう、ハッチさん。
今回の震災と事故で、日本が、日本人が、
力をひとつに合わせて、再生という目標に向かって
前進しているのを感じ、日本人で良かった。
と心から実感しています。
当たり前にあったライフラインの尊さを、
暴力的と言える程に
否が応でも気づかされました。
今までの生活のどこを改善でき、
どこを発展すべきか。
転んでもただでは起きませぬ。
笑顔や笑いを原動力に、
日本をバックアップしていきましょう♪
コメントありがとうございます♪
寒い冬のあとは、必ず暖かい春が訪れ、
春うららの空気感は人の気持ちを柔らかくしてくれますね。
そして、勇気や、やる気も。
再生は繰り返す。そして日本も!
わたしも周囲のイタリア人に、家族や友人は大丈夫?
と聞かれ始めの頃は、
自分は福島出身ということを言っていました。
でも、言われた方は、どう返答すればいいのか困っちゃうし、
わたしも、慰められても、わたし自身はフィレンツェにいるのだし。
だんだん辛くなってきちゃった。
だから最近では、わたしも出身地を聞かれない限り、
言わなくなりました。
海外にいる福島県人。しかも同じフィレンツェ!
心強いです。
日本に心を置きつつ、
フィレンツェでできることを頑張りましょう!
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