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フィレンツェとリボルノ1

トスカーナ地方海岸沿いにあるリボルノ市。観光や商用の大型船が常に乗り入れするイタリアでも重要な港の1つです。このリボルノ港を開発したのは、なんの縁もなさそうな、フィレンツェのメディチ家でした。 だからリボルノにはメディチ港なんていう名前のついた港もあります。

初代トスカーナ大公メディチ家のコジモ1世が現在のリボルノ港の基礎を築いたのが16世紀中期。コジモ1世は、彼の憧れだったマルタ騎士団を真似て、サントステーファノ騎士団を作りました。

この時代は、一歩外にでると海賊が待ち構えていて、海を渡るのも命がけ。海賊達は北アフリカのチュニジア人やモロッコ人で、ヨーロッパから来る船を略奪したり奴隷として捕まえたりと、海を荒し放題でした。

「これではいけない。」

そこで結成されたのがサントステーファノ騎士団です。この騎士団が、航海中の船乗りを海賊から守るようになり、いままでより安全に航海できるようなったのは言うまでもありません。

リボルノ港近くのミケーリ広場には、4モーリというモニュメントがあります。モーリとは「黒褐色の人」という意味で、海を荒らしていた海賊を指しています。彼らが鎖に繋がれていることから想像できるように、このモニュメントは、メディチ家が、海賊を追いやり、航海中の船乗りが安全に航海できるようになったことを記念しています。

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モニュメントは16世紀後半に作られ、1700年中期に完成しました。4人の海賊の上に立っているのは、コジモ1世と思いきや、若死にした跡取り息子フランチェスコ1世を継いで大公になった次男のフェルディナンド1世です(ややこしい)。

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彼がこのモニュメントの発注主だから。というのも理由の1つですが、もう1つ大きな理由があります。それは、父コジモ1世の意思を受け継いだフェルディナンド1世の代に、リボルノ港はトスカーナで最も重要な港の1つに急成長するからです。

さて彼はどうやって港を大きくさせたのでしょう。

みなさんだったらどうしますか?
答えは次回のブログで! 
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