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一杯のスープからはじまった、レシピ本。

前回の続き。

イタリアで彼の名を出して、知らないイタリア人はいない有名人、Pellegrino Artusi(ペッレグリーノ・アルトゥージ)のお話し。

 


初版は1891年。現在も重版されている、1大ベストセラーのレシピ本「La scienza in cucina e l'arte di mangiar bene(イタリア料理大全 厨房の学と良い食の術)」の作家です。

イタリアでは、シンプルにArtusi (アルトゥージ)と呼ばれている、家庭の愛読書の1つ。

 

 

これは我が家のアルトゥージ。


実家は絹織物販売で成功し、アルトゥージもその一端を担っていたけど、50歳になるかならないかのときに、もともと好きじゃなかった販売業から手を引き、執筆活動を始めます。

まあ、言うなれば、悠々自適。お金はあるし、時間もあるし。

 

お料理の上手なお手伝いさんを雇い、愛猫2匹と、本と、友達に囲まれたくらし。
楽しそうだ。

当時のフィレンツェは、トスカーナ大公国統治国で、治安も含めて安全な国だったので、家族全員で引越しフィレンツェに住んでいました。

 

 

ある日、トスカーナ海岸沿いのリボルノ街でお野菜のスープ(ミネストローネ)を食べた、その夜、悶絶の苦しみを味わう。

まったく!昨晩食べたスープに当たったか!!

最初はプンプンしていたけど、彼がリボルノを訪れた時はちょうとコレラが街中で猛威を振るっていたとの情報を入手。

「ということは、だ。」

 

「あのスープを食べたから、コレラの最初の兆候である腹痛だけで済んだのか。」

料理は好きだったけど、このエピソードをきっかけに、もともと書くことの好
きなアルトゥージは、レシピの研究に着手します。




やっと初版が完成!

が、出版をしようにも、出版社は鼻にもかけない。

「そーんなの、売れないよ」
「だれがそんなのに興味をもつか」
「お金を払ってまで欲しい読者なんていないよ」

とにかく、ケチョンケチョンにあしらわれたようです。

「じゃあ、いいよ。自費出版するから。」

もともとお金があるし、すでに過去に何冊か自費出版をしているので、慣れたもの。

故郷にも宣伝したけど、売れずに、よろずやに売りに出されたらしい。
打ちのめされ、完全に意気消沈していたアルトゥージ。
1000冊とかなり控えめの数で出版。

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1冊、また1冊。

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着実に売れていき、20年間に改訂15回も重ねています。ここまでは、すべて自費出版。

その後に、ローマの出版社から正式に発売されることに。イタリア全国から、賞賛や感謝の手紙が届くようになります。

 

 

いまや、彼はベストセラー作家。そして、いまも、ベストセラー作家。

高級レストランでの食事もいいけど、やっぱり基本は家庭で作るシンプルな料理。1800年代のレシピ本がいまも現役で活躍するイタリア料理。育み守り続ける、食文化の厚みを感じます。


そして、もう1つ、偶然とはいえ、大切な意味が含まれています。
イタリアがイタリアとして国が統一したのは1865年のこと。


各地方で口頭で語り継がれていたレシピを集めた、初めてのイタリアの郷土料理レシピ集。

ミラノ国、ベニス国、フィレンツェ国...、イタリアに小国が散りばめられて、それぞれが、ミラノ人、ベニス人、フィレンツェ人として生きてきたけど、1865年以降は、自分たちは、イタリア人。

「イタリア人」という意識を統一するためにも、このレシピ本は一役買う存在だったのです。

91歳まで生きたアルトゥージは、フィレンツェのミケランジェロ広場から、さらに上にあるサンミニアートモンテ教会のポルテサンテ墓地に埋葬されています。

 


*今回利用したイメージは、イタリア外務省が中心になり企画実行された食週間の映像から抽出しています。前回も案内しましたが、全部で6編あります。
https://youtu.be/juxJGDTq8LI

 

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[ 2020/12/01 23:44 ] テイスト・ハンター | TB(0) | CM(0)