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クリスマス商戦がはじまった!

小さい頃、この時期になると、
新聞の折り込み広告を見るのが好きだったなあ。

だって、オモチャの広告がいっぱい。
美味しそうなケーキ予約受付の広告がいっぱい。

チラシを眺めては、ウキウキしたものだ。

その習性は抜けないらしく、
いまも、ポストに入っている広告に見入ってしまう。


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クリスマスシーズン到来のイタリアの広告って、
どんな?

興味のある人っているんじゃないかなあ。

そこで、イタリアで一番安いと言われている
トスカーナ地方の生協の広告をちょっとご紹介。

クリスマスというば、クリスマスツリーだけど、
イタリアに入って来たのはつい50年前だとか。

イタリアの家庭で祝う、
伝統的なクリスマスのオーナメントは、
これ、プレゼーピオ。

幼子イエス生誕のシーン。


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イタリアの教会では、趣向を凝らした
プレゼーピオを展示するところも多し。


そして、盛り籠セット。


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スプマンテ、パンドーロ、パネットーネ、
トローネ、チョコレート、 などなど、
あま~いものが勢揃い。 

この時期は体重計を隠すとしよう。

盛り籠セットには、ドルチェ籠のほかにも、
ハム籠、ジャム籠、パスタ籠 など、種類はいろいろ。

フィレンツェといえば、
セリエAのフィオレンティーナ。

フィオレンティーナ籠なんてのもあり。

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紫が公式色なので、紫(ヴィオラ)一色。


もちろん、子供用のおもちゃページもあります。

キティちゃんはイタリアでも大流行り。

ちなみに、イタリアで製造・販売しているキティは
カモミッラ・キティと言うらしい。


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私的には、赤いヴェスパがいいなあ。



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苦しいときの神だのみ(荷物の発送)

随分と大袈裟なタイトルになってしまいましたが、

旅行中、良く吟味して買い込んだはずなのに、
パッキングし終えて、スーツケースを持ってみたら、

重た~い (汗)
何キロあるだろう (泣)

なんて、チェックインカウンターで

バクバク ドキドキ 

した経験はありませんか?

日本からイタリアへ戻って来る時、
わたしは、いつも心臓バクバクで寿命が縮まる思いです。


つい最近、日本へ帰国されるお客様が、

荷物が重たくて、絶対に超過料金必須!

な状況になり、
しかも、
中身は壊れやすく、かつ重たいもの。


書籍等なら、イタリアの郵便局からも送れて、
料金もそれ程ではないが、

瓶もの、割れ物 はちょっと危ない。
でも、スーツケースや手荷物も一杯いっぱい。

それで、今回利用したのが、ここ。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のすぐ近く。
ほぼ斜向かいにあります。

まずは電話してだいたいの金額を聞いてみると、
5キロで150ユーロ前後。

お客様も、それなら。出してみます。

ということで、大きいもの、小さいもの、
厚さのあるもの、薄いもの。
1つの袋にまとめて持参することに。

オフィスは和気あいあいで、ゆる~い感じ。

係のダリオ君が、袋の中身を一瞥して、
これは10キロ以上はあるね~。

重さでなく、箱の大きさから料金を割り出してくれました。
確か、18キロまでで、200ユーロくらいでした。
到着は約1週間後。
しかも、梱包も、すべてやってくれるということ。

ちょっと割高だけど、梱包込みでこの値段は、
本当に困っている場合は、
渡りに船。
苦しいときの神だのみ。

瓶ものなどの壊れ物を発送されたい場合は、
ご一案されても良いと思います。


MAIL BOXES ETC. 212
Via della Scala 13r, 50123 Firenze
Tel: 055. 268 173
eMail: ceekayservice@dada.it
営業時間:月~金 (9:00-13:00 / 15:30-18:30)

ほかにも、ここがあるよ!
という耳寄り情報があったら、教えて下さい!


ちなみに、郵便局の場合

logoposte.gif


普通の国際小包は20キロまで。
きちんと梱包して出して、
船便は約50ユーロ、
空港便は約150ユーロ。
郵便局の商品名:Pacco Ordinario Internazionale

速達の国際小包は30キロまで。
きちんと梱包して出して、
保証付きで東京まで282,38ユーロ。
郵便局の商品名:Paccocelere Internazionale

pacco_posteit.gif


ご参考までに!





ダビデのお散歩

1週間ほどブログを留守にしていまして、すいませんでした。

時間が経つのは早いもの。
情報は3日経っただけで、すっかり古くなってしまう。
でも、敢えて、先々週のフィレンツェをお伝えしま~す。


20日まで、フィレンツェでは、

FLORENS 2010 

なるイベントがあちこちで開催されていました。


でも

何が、どこで、いつ、開催されているのか。
4 W + 1 H が皆目不明。


コマーシャル不足なのか、資料作りが今イチなのか。

真剣に情報を収集しないと、まったくわからん。

さすがはフィレンツェ。 やっぱりフィレンツェ。


そんなある日。ダビデが宙を浮いていた。


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設置完了。

下から見上げると、ち~ちゃく ポチって見えるだけ。


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翌日。


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お~!! 
大聖堂の広場に1日で芝生が! 
奇跡だ !

芝生を貼る作業をお客様が前夜に見かけたらしい。
一晩でこれだけの仕事ができるなんて、
フィレンツェ人もやればできるんじゃん!

しかも。 

もう1つの奇跡が。

昨日は、ポチっと大聖堂の屋根にいたダビデが
大聖堂の正面に移動している。


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わたしが行ったときは、記念撮影をする人が順番待ち。
そりゃそうだ。  
こんな光景、一生に一度しか見れないかも。


さらに翌日。 


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ダビデ殿のお通りです。


corteo0.jpg


パレードを繰り広げながら運ばれた先は、


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シニョーリア広場 !

旗が舞い、音楽が奏でる。

ばんざ~い ばんざ~い !


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ダビデがダビデとついに対面 !!


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フィレンツェを散歩していたダビデは、
コピーでプラスチック製の分身。

今回のダビデのお散歩は、
1504年に本物のダビデ像を
大聖堂の工房からシニョーリア広場に移す場面を
再現したものらしい。

本来、ダビデ像は、大聖堂に置くために、
ミケランジェロに注文されたもの。

でも、実際に出来上がると、

このダビデ像は共和国の自由のシンボル。


スクリーンショット(2010-11-22 17.47.57)


「大聖堂の前より、ほかの場所の方がいいかも。」

「って、じゃあ、どこ?」

「う~ん どこに置こうか。」

当時も、等身大の模型を作って、東へ西へ、北へ南へ。
しっくりいくところを、検討したらしい。

結局、ミケランジェロの要望もあり、
シニョーリア広場のベッキオ宮殿の正面に落ち着いた。

ということです。

な の で、

今回のダビデのお散歩は、置き場所を決めるために
右往左往した当時を再現した。らしい。

(でも、さすがに屋根の上には載せなかったと思うのだが。)

1504年5月1日。
シニョーリア広場へ移動するダビデ。

スクリーンショット(2010-11-22 17.27.49)

木組みでしっかりダビデ像を括り、車輪は、丸太で代用。
4日間かけて、ようやく到着したということです。

さらに、時は移り、1873年。

オリジナルのダビデ像は、さらに移動をして、
ようやく、アカデミア美術館に納められることになります。


規模の大きな今回のプロジェクト。
3日間だけというのは、もったいなかったな~。

大聖堂の広場の芝生も、すぐに撤去されて、もったいなかった。 
白の大理石に映えて、すっごく綺麗だったのにー。





* 今回使用した写真は、下記のものです。
Corriere Fiorentino コリエレ・フィオレンティーノ新聞
http://corrierefiorentino.corriere.it/

La Nazione ラ・ナッツィオーネ新聞
http://www.lanazione.it/

Palazzo Vecchio ベッキオ宮殿のHP
http://www.palazzovecchio-museoragazzi.it/?language=it




イタリア報道事情 

先週土曜日に、イタリアを代表する指揮者、
Riccardo Muti (リカルド・ムーティ)がテレビに出演。

→ 彼の経歴はこちらを参照。

彼は、1968年から1980年まで、フィレンツェの
五月音楽祭の首席指揮者を務めたこともあり、
フィレンツェでは馴染みのある指揮者。

去年に彼のコンサートが市立劇場で開催されたとき
わたしも観て来ました。 

指揮者によって、こんなに楽団の演奏が変わるんだ~。
というのがわたしの印象。 


riccardo-muti.jpg


テレビに出演したリカルド・ムーティは気さくな印象。
笑いあり、真面目な話しあり。

わたしが、まるでオーケストラの一員になったように、
グングンと彼のトークに惹き付けらました。

彼のトークのなかで特に印象的だった話題。
それが、カラブリアの若手オーケストラ。

Banda di Delianuova。平均年齢 12~18歳。

カラブリアは、ナポリやシシリアと肩を並べて
陰鬱で憂鬱な話題ばかりを提供しているイタリアの南部地方。

そんなニュースを耳にしていると、どうしても、
その地方のイメージが悪くなり、
国民のモチベーションも下がり気味になってしまう。

もちろん、その地方に住む若者達もしかり。
未来に展望を持てずに、転がり落ちる若者もあり。

でも、どんよりした沼のなかに、美しい蓮の花を咲かせるように
この状況で、がんばっている人達もいるんです。


banda musicale


彼らは、ラヴェンナ音楽祭で演奏し成功を収め、
リオンで開催された音楽祭では、
25~30もの参加オーケストラを押しのき、見事優勝。

残念ながら、このニュースを報道するマスメディアはいませんでした。
イタリアの南部地方を話題にする場合、いつも暗い話題ばかり。

私達の国、イタリアが、素晴らしい国ということを、
どうして、報道しないんでしょう。 

悪いニュースばかりでなく、私達の住んでいる
イタリアという国は、どんなに素晴らしいか。 
若者がどんなにがんばっているか。

声を大にして、報道することにより、
イタリアという国をより誇りに思い、
若者達に希望を植え付けることができるのではないでしょうか。

と、語っていたのが印象的でした。

ケナすばかりでなく、褒めることも大切。

20分ほどのトークショーだったけど、観た人の心に、
大きな印象を残したリカルド・ムーティ。

これは、イタリアだけでなく、
どこの国でも大切なことじゃないかな~。




美食(日本紀行17編)

煮る、焼く、揚げる、蒸す、炊く、
日本の調理法は多彩。

しかも、シャキっとか、カリっとか、
歯ごたえにも、多くのヴァリエーションあり。

これほど素材を活かして調理する人種も
珍しいのではないでしょうか。

日本人であることに誇りを持つ要素の1つ。


まあ、まずは1杯飲むとしましょう。


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マスとコップの立ち姿もシンプルで美しい。
しかも、美味。 うふ。


この日は5人でお食事。

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きゃ~!  お~ ! 
わたし、すっかり外国人状態。
相方、すっかり日本人状態。

私達のために、
居酒屋の王道料理も注文してもらいました。


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すべてが旨い!  うまうま !!

フィレンツェは海がない街なので、
どうしても、魚より肉がメイン。

ナイフでガシガシとお肉を切っていると、
半分くらいで、食べ疲れるときがある。

満腹ではないんだけど、な~んか、
肉疲れっていうのかなあ。 

野菜や魚料理をお箸で食べるとホッとする。

ナイフとフォークは、料理と闘うようで攻撃的。

1口大に切られた料理を、お箸で頂くと、
無理に力をいれずに、スッと口に運べて優しい感じがします。

チーズ等がない日本では
貴重なカルシウム源だった魚の骨。 


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揚げるだけで、アート。

日本料理の奥深さに感嘆です。












[ 2010/11/15 22:16 ] @日本紀行 | TB(0) | CM(4)

不思議なお野菜

写真-1

大根 ? ゴボウ ?

スーパーで目にしてはいたけど、食べ方が分からないから、
わたしの買い物リストにいままで加わらなかった食材を、
相方が買ってきた。


どうやって食べるの? (私)

さ~ ね~ ?  (相方)

ええええー 。。 (脱力な私)


わたしは、作るものを考えて、
リストに書き出してから買い物する派。

わたしのスーパー滞在時間:20~30分

ちゃっちゃっ と済まして、さっさと帰宅。

相方は、その場で適当に選んで、
あとからその食材に合ったレシピを考える派。

相方のスーパー滞在時間:1時間強

あれこれ物色するから、なが~いなが~い。

* * * * *

さて、この根菜。

RADICI DI SONCINO と書いてあり、
ソンチーノ産のラディチということらしい。

ラディチは根っこの意味。

ソンチーノ産の根

この単刀直入なネーミング。
どんな野菜か皆目見当がつきません。

パッケージの裏には、
RADICI AMARI と書いてあった。

苦い根

いったいなんなんでしょう。 このお野菜。

* * * * *

ネットでレシピを検索すると、
茹でる、グランタンの具にする、オイル漬けにする、
バーニャ・カウダにする、などなど。

そこで、今回は、バーニャ・カウダにしてみました。

1)
皮を剥いたら、鍋に入るように適当に切って、茹でる。
茹でるときに、少々のお塩とお酢を加えておきます。

2)
塩漬けアンチョビ2匹分とニンニク1カケをみじん切りにして、
オリーブオイルを加えて、軽くフライパンで熱する。

3)
今回は、茹で上がった1)の
繊維の多い部分は省いて、1口大に切りました。

4)
ろうそくの火で底から少しずつ熱する、
アペリティフに使うような、
もしくは、チーズフォンドゥに使うような容器に
2)と3)を入れて混ぜる。

完成 !


写真


ほろ苦い、ごぼうと大根の中間のような味で、
どちらかというと淡白。

アンチョビの塩っぽい魚の味がニンニクで中和され、
これが、淡白なラディチと相まって、なんとも美味!

これから冬に突入する季節。

日本式鍋やイタリア式煮込みにも使えそうな食材。


相方のお陰で、新しい食材に出会えることもあるから、
一緒にスーパーに行っても、イライラせずに、
気長に待つ忍耐力をつけよう。 うん。


[ 2010/11/12 03:46 ] @ 美味なるもの | TB(0) | CM(4)

フィレンツェの食の祭典

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2年に1回
フィレンツェで開催される食の祭典

期日:11月6日(土)~11月22日(月)

トリノのサローネ・デル・グストと同年に開催されるというのは、
トリノに対抗してか??!!

イヤイヤ(笑) 
規模が全然違う、ローカルな食の祭典です。

ただ、市街で開催されるものが多かったりと、
アクセスがちょっと不便だったりする。

そんな数あるイベントのなかでも、
観光で来ても楽しめるような、面白そうなイベントがこれ。


il Mercato dei Sapori e dei Mestieri

期日:11月12日(金)~11月14日(日)
時間:9時~20時
料金:無料

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食の生産者が自家販売するマーケットです。

場所は、フィレンツェ中心街のおヘソに当たる、
共和国広場。そしてストロッツィ広場。

イタリア語表記でPiazza della Repubblica と Piazza Strozzi。

共和国広場には400店が、
ストロッツィ広場には40店が、建ち並ぶらしい。

設営は、昔ながらの市場を想定しているとか。


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販売される食材は、トスカーナ産ばかり !

ワイン、オリーブオイル、蜂蜜、茸、トリュフ、
サラミ、チーズ、ジャム、サフラン、栗 etc...

今年の新酒ワインが飲めるかも。
摘み取ったばかりのオリーブオイルもあるに違いない。
栗はいまが季節。 オーブンで焼いてホクホクたべたい!

試食も、もちろんオーケー。
この時期にフィレンツェにいらっしゃる方、
要チェックですよ  (^o^)/


→ Biennale Enogastronomica Fiorentinaの公式サイト




[ 2010/11/09 20:30 ] @食とワインの見本市 | TB(0) | CM(0)

茶畑イン静岡(日本紀行16編)

夏も近づく八 十八夜・・・♪

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小さい頃の手遊び歌。懐かしいなあ~

愛知県を後にし、次なるところは静岡県。
茶畑を見たかったのです。

新芽。
薄い緑の葉っぱの部分のみを摘み取るらしい。
ツルツル ピカピカ の新芽が、かわいい~。


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さすがは静岡。 あっちにも。


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こっちにも。茶畑。


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畑にニョキニョキと立っているファンは、
霧や霜が降りるのを防ぐためのものらしい。


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おっと、これは大根。


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あまりにも、美味しそうに太っていたので
思わず被写体に。

いいねえ~ 日本 !


昔から愛飲されてきたお茶

室町時代はストリート・ドリンクとして、
庶民にもお茶が浸透したということ。


DSC09440.jpg

1服1銭 でお茶を楽しむ


今は機械が導入されていても、
お茶作りの工程は、昔と変わらず。


DSC09448.jpg

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我が家では、健康のため、ワインは週2~3回
(それでも多いか。。。)と決めています。

お味噌汁とイタリアンは今イチ相性が悪いので(笑)
緑茶、番茶、ほうじ茶、棒茶、などなど、
食事に合わせてお茶の種類を変えています。

芯から身体を温めてくれるお茶は、
ニンニクたっぷりの食事も
カテキンのお陰で口臭をシャットアウト。
ついでにビタミンCも補給でき、お肌にもよろしい。

最近は、フィレンツェでも、紅茶屋さんで
日本茶や中国茶を購入することはできるけど、
やっぱり、本場のお茶にはかないません。

各種、さまざまなお茶を買い込んできたのを、
いまは大切に愛飲中。



[ 2010/11/08 19:21 ] @日本紀行 | TB(0) | CM(0)

楽しかった~♪

なんとか着ていく服を整えて

初体験してきました

オペラ「フィガロの結婚」

ストーリーはなんとなく頭に入ったし、
曲もなんとなく耳慣れしたし、

いざ! 開演。


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ほ~ 舞台の上に字幕がでるんですね。
舞台の上のアルファベット文字が字幕。

ストーリーが追いやすく、ありがたい。

開始時間20時30分。
終了時間00時00分。

あっ

という間に時間が過ぎました。


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電磁化されたテレビやスクリーンでは味わえない

生、ライブ、臨場感。

軽快で流暢な音にのり、
感情の込もった歌が、ホール全体に響きわたる
人間の持つ「声」に圧倒され、感動。


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絵画 彫刻 建物 音楽 舞踊

美しいもの 綺麗なもの 感動するもの

アートには、それぞれのストーリーがあるけど、
それを生んだ人間って、すごいなあ と思う。

オペラもその1つ。

いままで苦手だったのに、

振り子が右から左へ動くように、
無関心から興味大に、わたしの感情は大移動。

やっぱり、先入観はいけませんね。
いつまでも、好奇心は忘れないようにしよう。


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通路を挟んだ向こう側には、
小学生と思える子供達が30人ほど席を占めていました。

ありゃりゃ  騒ぐかなあ~

ちょっと心配だったけど、そんな心配はどこへやら
みんな、真剣な表情で観劇していました。

課外学習だったのかなあ
終了時は劇場の玄関先で、親御さんがお迎え。

劇場へ足を運ぶ人には、年配の方が多いかと思いきや、
20代と思える若者も多くみかけ、

ちょっと嬉しくなりました。


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それにしても、
フィレンツェだけ?  イタリアの傾向なのか。

重唱、合唱、アリアと、
配役に合わせて歌うことになるが、
どうしても出演者の優劣が出てしまう。

上手な出演者には
ブラヴォー!  ブラヴァー! 
掛け声つきで、感情入りの惜しみない拍手。

まあまあ、かな。という出演者には、
拍手はするものの、よくがんばりました的な拍手。

観客が、そのまま、批評家なんですね。
怖いな~

次回は、ベニスのフェニーチェ劇場で観劇したいです。
劇場を出て、迎えてくれるのは、
水面に明かりが映える、ロマンチックな海の都ベニス。

ああ、なんて素敵~!


*)
写真はマッジョフィオレンティーノのブログから掲載しました。




[ 2010/11/07 23:25 ] @展示会やコンサート | TB(0) | CM(2)

オペラ歌劇、ただ今予習中(後半)

11年後の1600年。

ウフィッツィ美術館に当時あったメディチ家劇場で、
メディチ家本宅であったピッティ宮殿で、

Euridice(エウリュディケ)

という舞台が開かれました。


teatromedici.jpg


楽曲担当:ヤコポ・ペーリ
台本担当:オッタヴィアーノ・リヌッチーニ

両者ともに、バルディ同好会とも呼べる、
カメラータ・デ・バルディの責任者。

指導者:ヴィンチェンツォ・ガリレイ

ん? ガリレイ ?

どこかで聞いたことのある名前。


そう、

彼はガリレオ・ガリレイのお父さんなんです。


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こちらは
天文学の父と呼ばれる
息子のガリレオ・ガリレイ


いっぱいカタカタの名前が続きましたが、

バルディ同好会は、
バルディ・ディ・ヴェルニーノ邸宅がメインオフィスだったので、
そう呼ばれています。

いまもこの邸宅は現存していて、
サンタクローチェ地区ベンチ通りの
ホルン美術館の目の前にあります。


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現在、この邸宅は個人所有。
残念ながら見学不可能です。



バルディ同好会ってなに?

「歌いながら劇をする」

ことで、

音楽に革新を与えようと活動していた団体。

じゃじゃ~ん!

ここでついに現代に通じるオペラが誕生するのです。



記念すべきEuridice(エウリュディケ)のあとに上演されたのは、
Arianna
(アリアドネー。ギリシャ神話の人物でディオニソスの妻。)
そして
Orfeo(オルフェウス)。

→ アリアドネーの話しはこちらを参照
→ オルフェウスの話しはこちらを参照

実は、最初に上演されたエウリュディケは、
オルフェウスの奥さん。

なので、オルフェウスはエウリュディケの
続編と捉えることもできるでしょう。


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歌いながら劇を演じることをメロドラマといい、
すなわち、オペラのこと。


恋い焦がれて、裏切られて、失恋して、死に別れて。。

成就できない、哀しい愛

涙 涙 涙

で幕降りる、悲劇な恋愛劇


特に、ジャコモ・プッチーニの
ラ・ボエーム、トスカ、蝶々夫人などは、
代表的悲劇オペラ。

ストーリーを読んでいるだけで、
イタタタタ
心が切なくなってくる。。


オルフェウスの台本を書いたのは、
クラウディア・モンテヴェルディなる人物。


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作曲家でヴィイオリン奏者で歌い手
という、マルチな音楽家。


その後、1700年、1800年には、

オーストリアのモーツァルトに続き、
ペーザロ出身のジョアキーノ・ロッシーニ、
パルマ出身のジュゼッペ・ヴェルディ、
トスカーナ出身のジャコモ・プッチーニ、

これらの作曲家が筆頭となり
オペラの全盛を迎えるようになるのです。


さて、予習もしたし、
いざ! 
オペラにいってきま~す。

あ、

相方とわたしは、カジュアル嗜好

劇場に、着ていく服が(泣)


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[ 2010/11/06 00:46 ] @展示会やコンサート | TB(0) | CM(2)

オペラ歌劇、ただ今予習中(前半)

いままで、

劇場や教会でのクラシックコンサート


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イタリアンロックのコンサート


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VASCOooo !!!!


いろいろなコンサートに行ってきましたが、

敷居が高くて、いままで手を付けていなかったのが、

オペラ !


情報収集や切符購入は、わたしが担当。

ある日、相方が、

どうしてオペラは候補にないの ?

と聞いてきた。


え~だって~ わかんないんだもん
難しそうなんだもん
寝ちゃいそうなんだもん



相方はオペラが好き

で、そんなわたしの意見を聞いてか聞かずか、

オペラ・ブッファだらか、これなら楽しめるでしょ
と、勝手に選んできたのが、

La Nozze di Figaro フィガロの結婚


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オペラ・ブッファ は、喜劇オペラ。

う~ん
ついに、わたしも、オペラ・デビューか!?

3時間はある演目。
内容が分からないと、退屈、極まりない。

そこで、相方からCDを借り、
家仕事のときにのBGMとして耳慣れしておき、
小冊子やネットでストーリーを予習中。
ああ、登場人物が多すぎ!

面白そうな内容である。
曲目も、CMで耳にしたものもあり。

モーツァルトだから、
曲が軽快で、流れるようなリズムが心地よい。


mozart-1.jpg


モーツァルトはオーストリア人。
でも、オペラって、どこでどう生まれたの?

フィレンツェが発祥というのは、知っていたけど、
予習も兼ねて、オペラについて調べてみました。

なので、今回はオペラ誕生ストーリー。

ちょっと長いので前後半に分けました。
興味のある方は2日連続でお読み下さい。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

時は1500年代。 

フィレンツェではメディチ家が、
トスカーナ大公そしてフィレンツェの君主として
栄華を誇っていた時代。

ローマで枢機卿をしていた、
メディチ家のフェルディナンド1世。

長男のフランチェスコ1世が急逝したために、
フィレンツェへ戻って来て、跡を継ぐようになります。


Ferdinando_I_de_Medici_2.jpg


ずっと枢機卿をしていたので未婚。

メディチ家の跡継ぎとして

さあ、僕も結婚しなきゃ。

叔母でフランスに嫁いだカテリーナ・デ・メディチ
の姪に当たるクリスティーナ・ディ・ロレーナ嬢と婚約。

クリスティーナは、
カテリーナが病で臥せっていたのを看病し、
最後まで看取ったあとに、
フェルディナンド1世のもとへ嫁いできました。

その年25歳。 
フェルディナンド1世は40歳前半。

両者ともに、当時にすれば、かなりの晩婚。

政治的結婚にも関わらず、
仲が良く幸せな結婚生活を送ったということです。

* * * * * * * * * *

前置きが長くなりましたが、

婚礼のためにフィレンツェでは盛大な祝賀会が
一ヶ月間に渡り催されることに。

宮廷のお仕えアーティストであり、
ジェラートの発明者でもある
ベルナルド・ブオンタレンティが主監督になり、

音楽をバックにドラマを演じるコンサート

が開かれます。

そう、

これがオペラの前衛です。

1589年のこと。

テキスト担当
ー ジローラモ・バルガリ
ー オッタヴィアーノ・リヌッチーニ

作品担当
ー ジョヴァンニ・バルディ・ディ・ベルニオ

音楽担当
ー ザッゼリーノと呼ばれていたヤコポ・ペーリ

舞台演出と衣装担当
ー ブオンタレンティ

これは、ブオンタレンティが水彩画で描いたデッサン。


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ここから序所にオペラが形づくられていくのです。


次回につづく



[ 2010/11/04 21:23 ] @展示会やコンサート | TB(0) | CM(0)

成道山松安院大樹寺(日本紀行15編)

しだれ桜が美しい春

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正式名称
じょうどうさん・しょうあんいん・だいじゅじ

通称 大樹寺(だいじゅじ)。

愛知県最終回。場所は岡崎市。


友人の案内がなければ、足を運ぶことはなかっただろう。
このお寺の存在すら知りませんでした。
案内してくれて、ありがとう。

ただのお寺と思うなかれ。

徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、
歴代当主の墓や歴代将軍(大樹公)の位牌が安置されているのです。


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松平八代のお墓

永禄3年(1560年) 桶狭間の戦いで今川軍は敗走し、
松平元康(徳川家康)はここに逃げ帰り、
先祖の墓前で自害しようとしたが、
住職の登誉に諭されて思い留まった。
慶長7年(1602年) 勅願寺となる。
(by wikipedia)

桶狭間の戦い。
今川軍。
徳川家康。

日本の重要歴史キーワードが散りばめられた、
由緒あるお寺。 

徳川家の家紋といえば、

頭が高い、 この葵の紋どころが目に入らぬか~!

でお馴染みの”三つ葉葵”。 


スター付き画像7


さすが菩提寺だけあり、屋根瓦の装飾は三つ葉葵。
木組みの、がっしりした屋根作り。
隙やゆるみのない、凛とした美しさ。
いい仕事に溜息。

これは山門


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寛永18年(1641)に、三代将軍徳川家光公が建立。
手前が山門。 
向こうに見えるのは総門。
そのずっと遠く、一直線上には、岡崎城を見ることができます。


歴代将軍の位牌が安置されている場所には、
それぞれの将軍の身長も記載してあり、

平均身長は、約155センチ。
綱吉に至っては124センチ。

当時の人々の平均身長だったのか、
意外に小さいのに驚き。

わたしがこの時代に生きていれば、
平均身長だったかも。
いや、それよりちょっと低めだけど。


境内には、国の重要文化財である多宝塔もあり。


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桶狭間の戦いが起きた1560年と言えば、
フィレンツェはメディチ家の当主コジモ一世の頃だわ。

なんて、強引にフィレンツェと結びつけながら

日本やイタリアだけでなく、
世界各国で、いまは歴史と呼ぶ様々な事柄が
同時進行で起こっていたこと

時間の積み重ね、事柄の積み重ねが、
いまの国を形成していること、

その当時の情景を想像してみながら、
必然か 偶然か
いまこのお寺の前に立ち、
時の流れと自分との接点を不思議に思うこと、しばし。


旅行はまだ3分の1を消化したところだけど、
各地にいる友人・知人達のお陰で、
かなりディープな日本を満喫しています。

本当に感謝感謝です。
ありがとう。


→ 大樹寺のHPはこちらから



[ 2010/11/03 21:34 ] @日本紀行 | TB(0) | CM(0)

雨の傷跡

10月の最終土曜日に冬時間に変り、
夕方5時には、とっぷり日が暮れるようになった、
今日は3日目。

冬時間にいつ変わるの?

というクエスチョンを良く頂きますが、

10月最終土曜日の23時59分に、

ピ ピ ピーンと時刻が変わると

あら不思議

日曜日の23時に時間が逆戻り

身体のリズムを1時間早めたり、遅めたり。
日曜日は調整の日。

夏時間で8時30分起き(遅い!?)で
身体を慣らしておいて、
同じ時間で起きようとすると、
冬時間で7時30分。 

ちょっと得した気分。

11月1日はイタリアの祝日。
Ognissanti。全聖人の日。

今年は、11月1日が月曜日だったので、
日曜日と月曜日と2連チャンのお休みでした。

ちなみに、11月2日は死者の日。
日本のお盆のよう。
11月1日のお休みを利用してお墓参りに行く人多し。

でも、、

外は土砂降り

ザンザン ザンザン ザーザー ザーザー

わたしの記憶では、11月1日は、いつも雨。


北イタリアでは高速道路にまで水が溢れ、
ベニスでは浸水黄色信号が出され、
トスカーナでも、大きな土砂崩れが起きました。


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水で たっぷん たっぷん のベニス

腰までありそうだ。
間違えて海へ落ちそうだ。。。 怖い 怖い


毎年、この時期は雨が降る

ここは、フィレンツェのサンクローチェ広場


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扉の左上の石碑に注目


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下は、1557年9月13日のアルノ川大氾濫で
ここまで浸水しました。 という石碑。

さらに、上にある小さな石碑は、

1966年11月4日

ここまで浸水した。という石碑。
大氾濫したのは、もちろん、アルノ川。

ちなみに、

ここにはありませんが、

1333年11月4日

この日も、1966年と同じくらい被害を出した
アルノ川大氾濫が起きています。

33、66、 ゴロ合わせが危険

11月4日は、氾濫の危険度ナンバー1

アルノ川の氾濫を押さえるために、
なにか対策を考えた方が ??


でも、1300年代、1500年代、1900年代と、
2世紀以上のインターバルがあるので、

まっ、自分達の世代には起きないだろう

なんて楽観視なのか、どうなのか。。


1966年11月4日の氾濫で
浸水したサンタクローチェ教会


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普段のサンタクローチェ教会


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泥土と化した水のなかに埋まり、
大きな損害を被った美術品や古書を救出すべく、

ボランティアの若者達が世界から集まり、

彼らはのちに、

泥の天使 たち

と呼ばれるようになります。


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ちょっと前に、ウフィッツィ美術館から
サンタクローチェ教会へ戻されたがために、

油にまみれた水に
うつ伏せになった状態で発見された

”チマブエのキリストの磔刑図”


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数十年に渡る修復を終え、いまは、
サンタクローチェ教会の付属美術館で鑑賞できます。

これ以上は直せない氾濫の傷跡が痛々しく、
フィレンツェ人が受けた心の傷を体現しているかのよう。

傷ついてしまったのに、
傷ついたがために、

より一層、

強烈なオーラを放ち、輝いて見える

見るたびに、感動する1枚


雨は、

自然に爪痕を残すこともあれば、
自然に恵みを与えることも


今日、11月2日は、
あんなに雨降りだったのが嘘みたいに快晴。

11月のイタリアは雨期と呼ばれていますが、
そんな憂鬱を吹き飛ばすがごとく、
食の祭典も目白押し。

新オリーブオイルの品評会
新酒ワインの展示会
トリュフ、栗、茸。

雨期の11月は食の11月でもあるのです。

もし雨のイタリアを旅行することになったら、
11月限定の、食の風物詩で胃袋を満たそう!