要塞のような入り口を通り抜けると、なんて豪奢な建物。
イタリアではVilla(ヴィッラ)と呼び、意味は邸宅。
邸宅というよりは、お城みたい。

邸宅の名前は、羊毛業や銀行業で財を築いた、中世時代の所有者、ボンシ・デッラ・ルオータ侯爵からきています。が、1600年代に没落。教会へ所有者が移ります。
200年後の1800年代は、ナポレオンの存在もあり、教会の膨大な所有が没収された時期でもあり、実業家ブディーニ・ガッタイ氏が高額で買収。田舎に「別荘」を求めたらしい
。

そして現在も、このお城はガッタイ家のものです。素敵な庭園は、プライベートゾーンにあり、スタッフに伺って、入らせていただきました。
そこで出会った白い孔雀。庭園を、優雅にお散歩していたけど、

知らない人を見て怖かったのかなあ。羽根をバタバタさせて威嚇してたのかも。ごめん、ごめん。
産毛は、軽やかで、ふわっふわっ。

葡萄畑の紅葉。ここはワインも作っています。

アグリツーリズモでもあり、敷地内にある別宅への宿泊も可能。アパートスタイルで、近くにはレストランがないので車が必要です。人数が多い場合には、要相談で食事の準備も可。
Tenuta I Bonsi
Loc. Sant'Agata 50066 - Reggello FIRENZE, Tuscany
Tel. +39 055 8652118
空気の澄んだ気持ちよい秋晴れの日に、青空骨董市が開かれていた。

骨董市は楽しい。
いろんなものがゴチャっと無秩序に並べられていたり、

いかにもな、イタリア的オブジェがあったり、


エスプレッソ用のデミタスカップがテーブルに隙間なく並べられていた。
すっごくかわいい。眺めているだけでも楽しい。
きゃあきゃあ言いながら、楽しそうに物色して購入していく学生たち。

おみやげダビデ。シールがついてる。よく見ると、

シュールだ。。

なぜここに? しかも、なぜこの雑誌? どうやって流れ着いたの?

掘り出し物は、職人さんのオブジェ。
いまとなっては、作っている職人さんが希少な、帽子を作るときの木型。

持ち手の素材も美しい、昔ながらのスタンプ。
蝋で封印したり、革製品の押し型に使ったり。

目を凝らして本気で買うマダム、冷やかしながら見て回る仲の良い老夫婦、和気あいあいじゃれ合う学生たち。老若男女、それぞれが楽しそう。

青空バールもちゃんとあります(トイレはないけどね
)。

喧騒から離れ、のんびり、楽しく、つかのまの休日。
ここはチェルタルドという名の街。
フィレンツェから1時間弱、ゆっくりのんびり鈍行列車の旅。
主要道路から外れたところにあるので、車でも同じく1時間弱かかる街。

自動モーターの小さなケーブルカー(フニクラともいう)に乗るか、階段をのぼるかして、丘の上の中心街へ向かいます。
あっちをみても、

こっちをみても、

レンガを積み建てて造られた建物ばかり。
年月を経た木造が艶やかな飴色になるように、石もまた、こっくりしたいい味を出している。自然のものは、年を重ねるごとに美しくなるものなのねえ。人間もそうあればいいのに。せめて心は 

ボッカッチョ通り(Via Boccaccio) 。イタリアの道は、偉人の名前が通り名になることが多い。特にその街の偉業者はメインストリートになる可能性が大。
そう、このボッカッチョ。ジョヴァンニ・ボッカッチョといい、14世紀の詩人であり散文作家。
この人です↓↓

「デカメロン」を書きました。
...... って?
14世紀に黒ペストが蔓延したフィレンツェから避難して、郊外に引きこもった10人。
いまでいう、ロックダウン。
退屈まぎれに、一人10話づつ語り、10人X10話=100話をまとめた物語本がデカメロン。自分たちの生きてる時代のことを文章にした本はまだ存在していなかったので、とても革新的な本だったのです。
ちなみに、デカメロンはイタリア語ではなく、ギリシャ語の「10日」(deka hemerai)からきています。当時の本はギリシャ語かラテン語で書かれるのが普通だったのです。
この「常識」を覆したのが『神曲』で知られるダンテ。
まあ、それは、おいおい、どこかで機会があれば書きたいと思います。
街の教会には彼のお墓があります。

もうひとつ、この街で有名なのが、玉ねぎ。
「チェルタルドの玉ねぎ」という名前で市場に出回っています。
火に通すと甘みがグッと増す、美味しい赤玉ねぎ。
ジェラートも作っています。

チェルタルドの玉ねぎは、街のシンボル。
ボッカッチョのお墓にも、市の軽トラにも、赤玉ねぎがシンボルで描かれている。

1本道のメインストリートを歩くと、ひときわ目立つ塔のような建物。
チェルタルドの市庁舎。
15世紀にはこの地帯の政治行政の中心地として重要な役割を果たしていた歴史を持つので、こーんな小さな街なのに、すごく立派なのです。600年前のものを、いまも、使っているってすごいですね〜。過去の遺物じゃなく、現役。

街のはずれまで歩くと、緑の風景が顔を見せてる。
丘の高台にあるので、鳥目線の風景。

遠くに見えるのは、塔の街、サンジミニャーノ。

を、背後に昼寝する贅沢な猫。

ここは、サンタッピアーノ教会

990年の文献にすでに名が残されている、ロマネスク様式の中世の教会。
教会前に4本の柱が建っているけど、なんだと思いますか?
むかーし、むかーし、洗礼堂が建っていたそうです。
洗礼堂は、キリスト教徒になるために洗礼を受ける儀式に使われる神聖な場所。
年月とともに崩れ、いまは4本の柱だけが残っています。
これがまた、いい雰囲気を醸し出しています。
円柱の上にある円頭の模様は、約1000年前に掘られたもの。
神との対話にシンボルや動物が彫られている。



この石達は、1000年にも渡る歴史を静観してきたんでしょう。
よくもここまで、風化せずに残されてきたものだ。
Pieve di Sant'Appiano
Barberino Tavarnelle Firenze
日本と比べると、ヨーロッパはたいへん。
パリが本格的なロックダウンに入ってしまった。そんなパリから抜け出すのに、パリジャンのパリ脱出ですごい交通渋滞だったらしい。
イタリアも18時以降は飲食店内での飲み食いが禁止され、宅配が大忙し。劇場やジムなど、人が集まるところも営業停止。瀬戸際で阻止しようとしてるけど、本格的ロックダウンも時間の問題か。。。のイタリアです。

そんなコロナ禍で、というか、コロナ禍じゃなければ、決して耳にしなかった言葉がある。
3月頃から聞こえ始めたクアランテーナという単語。ロックダウンの意味。
クアランタは数字の40を表し、40日間、検疫期間の意味。
言葉の起源は1300年代中期に起こった黒ペスト!
黒ペストの蔓延している国に立ち寄った船の乗船者は、40日間は下船できなかったことに由来があるらしい。
街並みだけでなく、言葉も中世が生きているイタリア。

そしてもうひとつは10月から聞こえ始めた「コプリフオーコ」。
直訳では「火を覆う」の意味。中世時代に火事が起きるのを防ぐために、23時から5時までは蝋燭禁止。それが電気を消すに派生して夜間外出禁止令となったらしい。
中世って、ざっくり1200〜1300年代のこと。

敢えて英語で表現しない、現代のイタリアに生きる古語。
こんな状況じゃなければ、生涯に渡り耳にすることもなかっただろうけど、なんか素敵。