白い四角い箱。 素材は大理石。

次なるものはこれ。

この二つで連想できるものは?

IGPに認定されている、ラルド・ディ・コロナータ。
豚肉の油の部分を、
粗塩、ローズマリー、黒胡椒、ハーブ類で揉んで
大理石の箱に入れて熟成させる、コロナータ村の特産。
ハーブ類等の調合は会社の極秘情報。
わたしたちが行ったお店の裏には熟成室があり、
見せてもくれますが、写真撮影は禁止です。
なので、できたものをお見せしましょう。

上段に並んでいるのは、22ヶ月熟成されたラード。
下段に並んでいるのは、12ヶ月熟成されたラード。
相方のお母さんの
「コロナータ村のラードが欲しいわ~。」
の鶴の一声でパスクアの日曜日に、山道をズンズン登っていってきました。
わたしも相方も、ただの付き添いで買うつもりはなかった。
(「エ~っ」 という外野の声が。)
その土地で地場産を買うとなんでもお手頃価格だけど、
ラルド・ディ・コロナータも同じ。
フィレンツェの中心街で前菜として頼んだら
10ユーロは下らないでしょう。
試食して、値段みたら、マストにゲットな気分に。
このコロナータ村の外の風景


村の奥に見える切りだった山が白くなっているけど、
雪ではありません。
大理石!
この周辺ははるか昔から大理石のお山がいっぱい。
フィレンツェにある、ミケランジェロのダビデ像の大理石も
ここから運ばれました。

コロナータ村とその周辺の村民は、
大理石の採石をなりわいとした寒村でした。
当時の写真と、大理石を山から降ろす仕組みを展示。

生ハム等になる大切な豚の肉の部分を売ったあと、
自分たちの手元に残るのは、
残った豚のラード(油)部分、と豊富にある大理石。
冷蔵庫もなかった時代。
このラードをなんとか保管して
1年を通して食べれるようにならないだろうか。
塩やハーブを混ぜ合わせ、
1年中気温の一定な大理石の箱に入れて
生まれたのが、このコロナータ村のラルド。
スローフードやIGPの認定制度ができるまでは、
寒村の貴重な食べ物だったけど、
いまは一躍注目の高級食材。
いまは至る所で、ブロックのラードの塊を見かけますが、
正真正銘のラルド・ディ・コロナータには、
真空パックを剥くと、
ロゴが打ち付けられた金製の赤いタグがついています。
このタグがついていたら、本物です。
本当に小さな村だけど、新鮮な自然と空気のなか、
そぞろ歩きも楽しいです。

結局、我々、22ヶ月のブロックをご購入♪
今夜は薄く切って、温めたパンの上に載せて食べよう。
ふふふ
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前回に引き続きルッカ
塔のてっぺんに、ニョキっと木が
生えているグイニージの塔。

グイニージ公はルッカの君主。
この塔は1390年頃に建てられたそうなので、
2月に紹介した
イラーリアの旦那さん、
パオロ・グイニージ公がルッカを統治していた時期。
ルッカを歩いていると、そこかしこに教会と遭遇します。
これはやはりイラーリア編のときに紹介した
ルッカのドゥオーモ、サンマルティーノ大聖堂。

こちらはサンフレディアーノ教会。
ファサードのモザイクが太陽の光を浴びて美しい。

内部はロマネスク様式の彫刻が多く残されていて
中世の雰囲気がいっぱい。
さらに、こちらは、サンミケーレ・イン・フォロ教会。
フォロとは、ローマのフォロ・ロマーノのフォロと同じ意味で、
古代ローマ時代は政治や経済の中心地だったところ。
そこに大天使ミカエル(ミケーレ)を頂上に抱いた
教会が建てられたので、この名前で呼ばれています。

この3つの教会を見比べてみると、
どことなく、ファサードと鐘楼のつくりが似ています。
ちなみに、こちらはピサの洗礼堂、大聖堂、斜塔。

ルッカも、ピサも、正面玄関のある1階には大きなアーチが並んでいて、
その上の階層からは、1階のアーチをプロポーション(比率)のベースとして、
細い円柱でさらに小さなアーチで区切られいます。
白い大理石を利用しているのも、共通項。
建築スタイルは1100年~1200年代を代表する、
ロマネスク様式。
さらに、ピサやルッカならではの装飾方法なので、
ピサ・ルッカ様式とも呼ばれています。
ちなみに、同時期のフィレンツェのロマネスク様式の教会がこれ。
ミケランジェロの丘のさらに上にある、
サンミニアート・アル・モンテ教会。

透かしのような細い円柱はなく、
緑と白の大理石の2色使いで、
比率の美しさを表現しています。
ルッカはピサの建築様式に強く影響を受けていますが、
フィレンツェは独自の様式美を確立しているのがわかります。
1都市の観光やそぞろ歩きも楽しいけど、
同時代の建築物を複数の都市で見比べると、
どの街がどの街に影響を受けたのか。
どう発展したのか。
などなどが分かって、結構面白い、建築探訪。
イギリスのBBC局とガイドブック「ロンリー・プラネット」が、
ちょうど、"2011年春のベスト・シティ" に、
ルッカを紹介していました。

ルッカはトスカーナ地方の1都市。
いまもなお、1500年~1600年代に建てられた城壁で囲まれた街。

そして、唯一、メディチ家の紋章が見られない街でもあります。
別な側面から見ると、唯一、メディチ家が制覇できなかった強国、
それがルッカ。
1847年にトスカーナ大公国に編成されるまで
ルッカは自治国として栄え、
イタリア統一時の1861年にルッカもイタリア国の1都市になるのです。
メディチ家にも屈しなかった私たち、ルッカ人!
と、さぞかし、いまも誇りに思っていることでしょう。
旧市街は城壁の内側にありますが、
何度行っても、地図なしでは歩けないルッカ。
フィレンツェより街は小さいのに、な~んかいつも迷ってしまう。
円形劇場跡広場へ初めて行ったとき。
なかなか見つけられなかった。
上から見下ろすと、きれいな楕円を描いている広場。
ということは、円が閉じられているということ。

photo by wikipedia
それゆえに、広場に通じる道も、
狭い横穴のようなところを通らなければなりません。

ここを通ると、あら不思議。
視界が広がり、楕円形の広場の内部に出るのです。

古代ローマ時代には、いまの広場で、
さまざまな闘技が繰り広げられたのでしょう。
時間を重ねた今、昔の円形劇場は住民の住むアパートへ
すっかり姿を変えています。
建物の一階には、
いろいろなお店があってそぞろ歩きも楽しい。
外側は、こんな感じ。

円形劇場の雰囲気は、広場の内側より外側のほうが、
より感じる、不思議な造り。
まさに歴史と共存していると言える街づくり、あっぱれです。
ここはルッカのサンマルティーノ大聖堂。
通称、ルッカのドゥオーモ。

サンマルティーノとはマルティーノ聖人のことで、
自分のマントを貧しき人に分け与えたことから、
マント→マルティーノ と呼ばれる聖人。
ドゥオーモの正面には、聖人の偉業を讃えた
モニュメントが飾られています。

ぱっと見た目は、打ち首の刑にしているように見えるけど、
実は、聖人が自分のマントを剣で切って分け与えているシーン。
そして、このドゥオーモには、イラーリア公妃のお墓があります。

美しいイラーリア・デル・カレットは、
ルッカの君主パオロ・グイニージのところへ嫁いできましたが、
1403年に弱冠25歳の若さでこの世を去ってしまいます。
そこで、腕の良いと評判のシエナ出身の彫刻家、
ヤコポ・デラ・クエルチャにお墓を作ることを依頼したのです。
いつまでも、眠り続けるイラーリアの足下には、
彼女が可愛がっていた子犬が、ずっと見守っています。

胸がキュンとしちゃう、ワンコの表情。
艶のある白い大理石で彫られた、気高く美しい姿のイラーリア。
時を超えて、いつまでも、いつまでも、
訪れる人を魅了しつづけています。
シエナ最終編は"夜"。
いまは冬時間だから、空に明かりは残っていても、
地上はとっぷりくらくなる、17時頃。

明かりが点々と灯りはじめ、
ウインドウショッピングを楽しんだり、
トラットリアが明るくなったり、
それぞれが、夜の支度をはじめる時間。

子供達は、寒いのへっちゃら。
そのまま座りこみ ぺちゃくちゃ わいわい。
カンポ広場でおしゃべりなんて、贅沢だな~。

カンポ広場に堂々と立つ市庁舎。
市庁舎内にある市立美術館は必見ですよ。
良政・悪政を表現したフレスコ画が相対して描かれています。
1300年代に描かれたけど、良政・悪政は700年経ったいまも変わらず。
まあ、人間の世界ですから。
変わらないものもあるってもんです。
ということは、もしかして、人間、進化していない !?

2回目にシエナへ行ったときは、カンポ広場に市が立っていました。
この日は雨が降ったりやんだり。
地面が濡れていたので、光がより艶やか。
歴史ある重厚な建物。 闇に広がる優しい光。
しばし、佇んで、美しさにため息。


前回はお化粧されていなかった市庁舎も、すっかりクリスマスモード。